方法や過程などどうでもいいのダァー!という株主へ
ジョジョの奇妙な冒険のDIOが言ったセリフにタイトルの通り過程な方法なぞどうでもいいのだァーというのがあるわけですが、株主やアナリストっていうのは、結果=株価が全てと言わんばかりにIR出せや!だとか情報開示しろ!とかタイトルのセリフを言いまくります。
株主は結果主義であるべきか
「方法や過程などどうでもいいのダァー」自体の意味は非常にセンスに富んでいると私も思っていて、半分正解なような気がしています。
結果さえよければ、全て良しな訳ですし。
ただ、勘違いしてはいけないのは、結果を作るのは方法や過程であり、成功という結果を作るのも、失敗という結果を作るのも方法や過程であることはまたしかり。
そしてその結果を求めたがるのが株主ですが、結局数字的な満足だけではこと足らずとかくIRによる情報を渇望します。
しかしながら、IRや株価対策をしたところで、その企業価値が変動するわけではありません。であるならば、結果を推論していくほうがいい。
結果を推論する。
今後の結果を推測するのはこれまでの経験則や方法論、過程から導き出すことが簡単ではないにせよ、おぼろげながらも答えを出すことが出来ることができると思います。
株の話とは脱線しますが、例えば、かつてのフィーチャーフォン、ガラケーは棒状の電話として生まれてきましたが、その後折りたたみ機能、写メ機能、ネット接続機能といった機能面による差を作り上げることで革新的になっていきましたが、最後の方では機能面による差が見出せなくなり、画面の美しさやシンプルさを売りにしだして最終的にはスマホに駆逐されてしまいました。
スマホの台頭がすごかったという結果だけ見ればたしかにそうなんですが、何故ガラケーがスマホの台頭を許し、そしてそれが結果的にガラケーの終焉を迎える結果となったのかを考えるのは非常に有意義なことだと思います。
私が考えている理由の一つに当時ガラケーが飽和状態であり、飽きが出始めていたことが挙げられます。
もう一つに値段が上がり続け端末代がとんでもないことになっていたことも要因と考えています。
当時で、最高モデルだと8万ぐらいしてましたから、正直iPhoneと変わらないですよね。
今のスマホも高級路線と低価格路線と二極化が進んではいるものの、ガラケーのような道を着実に辿っている気がします。
とすると、スマホに代わる「何か」が生まれるのは、そう遠い未来ではないのではないかと推論できます。
しかし、そうなるまでにまだ時間があるような気もしてますし、誰がその時に覇者になるのかはわからないですが、覇者になるにも過程があるわけですからそういった過去からの推論をしていくと面白いかもしれませんね。